Repeat negative morning #2

 『ホテルマクベスのB子さん』

 


 戯曲『マクベス』に

 

どうともなれ、どんな大あらしの日でも時間はたつ

人の生涯は、歩き回る影法師にすぎぬ。

あわれな役者だ、ほんの自分の出番のときだけ、

舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、

そしてとどのつまりは消えてなくなる


という一節がある。

 


 自暴自棄になった暴君のセリフだが、死を予感した者の言葉でもある。

 この物語が戯曲『マクベス』を背景にしてるとはこじつけ過ぎかもしれないが意味合いは不思議とぴたりとはまる。

 

 

 浮気現場を目の当たりにしたB子は衝動的に同じホテルに入ってしまい、怒りに任せて死のうとする。悲しみを共感してもらいたくて友人にLINEするがかかってきた電話ではマルチに誘われ、絶望的な悲しみを覚える。

 友人に、強がって言った冗談を真に受けられ、マルチの勧誘を受けてしまうB子は、普段は明るく元気で活発で面白くて、グループの中心で周囲からは悩みなどなさそうに、強そうに思われてる子なんだろう。#1のA子とは真逆の陽キャだ。それでも死にたくなる夜は必ず訪れる。どんな子にも頻度は違えど必ず一度はあるはずだろう。

 


 ふと流れてきたツイートの通知に『苦しまずに生きる方法を考えた方が幸せですよ』と返す。愛する人の浮気への怒りと絶望と、信じる友人への失望とで死にたいと思っていたB子はど正論のリプを返す。

 死にたいと思っていたこの夜に、同じ気持ちを持っている誰かがいた事への安心と共感。そして思いとどまる事を自ら確認するかのように言葉を打ち直した。この悲しい夜はしばらく明けないけれど、少なくとも明ける予感だけはできたのだろう。

 

 最後の『…孤独に抱かれた私に眠りは来ないのかもしれない』という言葉には、「もう死ぬことは考えないという意味もあるのかな」と観てる私も少し安堵した。

 

 


 オムニバスの2本目にあたるこの作品では1作目の対極にいる人物像が主人公。どんな人にも死にたい夜はくる。この連作のコンセプトなのかと確信する。

 #1がヘビーだった分、#2は少し心に余裕を持って観られた。ただ残り3作もと思うとまた心に重石がのしかかる。連作を観終わった後の感想が楽しみでもあり不安でもある 了

 

Repeat negative morning #1

イーハトーブのA子さん』

 

 銀河鉄道の夜は大昔に読んだっきりで明確には覚えていないが、このショートムービーの背景にはそこここに暗示されている。

 生と死、幸せの定義のような大きな背景や牛乳、河辺などの細かな小道具。冒頭の比喩表現に示されるよう現代へと投影される。

 

 

 死にたい。消えたい。双方が同義なのか別物なのかは人によって違うと思っているが、それぞれに比率のようなものがあるのだろうか。A子は自死の方法を検索する。使えそうなものを複数、部屋の中から掻き集め卓上に並べる。カッターを指先に押し当て、痛さに顔を顰める様子や、チーズカッターまで持ち出しているところを見ると、本気で死にたいとは到底思えない。検索といいツイートといい衝動的なものだと高を括って見ていた。

 


 だが、パピコを半分に割って冷凍庫に戻したことで雰囲気が変わる。鼻歌を歌いながら電気コードを括り付けている。すでに空になったアイスの容器をゴミ箱に投げ捨てる。腹が決まった様子に背筋が寒くなる。本気だ。

 


 苦しさに悶えながら3回目の試行に入った時には「もうやめてくれ」と心の中で泣き叫んでしまった。結果は未遂に終わる。

 


 そこで見るA子の走馬灯のような願望。というよりも手にしたい本当にささやかな幸せ。「なんてことはない普通の昼下がり」を「贅沢」とまで言わしめる。

 ここまで追い詰められていたのか。いやここまでの虚無感がこの小さな体に渦巻いていたのかと気付かされる。何も出来ない自分がもどかしく悔しくなりまた涙が溢れる。

 語りの最後で「私は溺れるように眠りについた」と聞き、一旦は安堵したものの、こんな夜がいつかまた来るのかと思うと切なさが残り続け、心の奥に澱となって沈んでいった。

 

 

 

 演技面の感想も。まずは声の演技。望む幸せな形を涙まじりに語るシーンは心の叫びが胸に響く。いや、その前の自殺未遂で苦しみに咽せて咳き込み、成し遂げられない悲しみと絶望の嗚咽からの語りだからより前掲した切なさや哀しみを惹き起こす。

 そして笑顔。苦しみと笑顔の対比がこの作品の全てを物語る。主人公にこの笑顔で暮らせる日々が少しでも早く訪れてくれるよう祈ることしかできない。

 

 最初は物語として捉えられずにただただ苦しく悲しい時間で何度再生を止めようかと思った。二度と見たくないが第一印象。好きな女の苦しむ姿なんて直視できない。

 ただ、物語として割り切って観られたのが4回目から。こんなに体当たりの作品をしっかりと見なきゃと思いちゃんと観た。曲の中のネガティブな部分をクローズアップしたオムニバスの導入部と今の時点では捉えている。もちろん5作品観終わった後で改めて感想は綴ろうと思う 

 想像の何百倍も凄まじい演技に度肝を抜かれました。体当たりの演技お疲れ様でした。素晴らしかった 了

完全殺人奪取計画#7〜11

 #7からはリョウの視点から物語が描かれる。

 経済的に恵まれた環境に生まれたからと言って幸せだとは限らない。『人には人の地獄があるって』のちにリョウが言われるように、人はそれぞれに苦悩を抱え将来に絶望する事くらい当たり前にある。

 また『殺して欲しいは愛して欲しいの婉曲表現』という鋭い言葉が登場する。この一言でリョウという、いや亮介という男の歪み、本質を的確にわからせてくれる。周りからは幸せそうな家庭に育った穏やかで聡明な男に見られるが、本人は親から関心を持たれず、その親という一番身近な男女が愛情を持ち合わせる事がなくなったのをまざまざと見せられ、愛を持って接していた親友から手痛い裏切りに遭い、『今世は暇潰し』なんて言葉に共感してしまう。ウタと同じように諦念を抱き愛に飢え、愛に怯えている。

 

 最初は興味本位からネットで知り合い繋がったウタを、リョウは願いを叶える人物として選ぶことになる。ウタの視点の描写の時には、リョウは決して心を許さない無感情の人間。「好きだ」という言葉を絶対に言おうとしない狡い男。そんな人物像だったがそんなことはない。ウタに自分を好きにさせようとしているうちに『ズタボロにになってしまったはずのプライドや自尊心、自己肯定感』を取り戻し高揚感を覚えるようになる。これは計画が進んでいる事と本人は捉えるかもしれないが、明らかに恋であり愛情を抱き始めている。


 「計画の実行」に至る直前。強くリョウに依存するウタと、依存される事に高揚感を覚え、ウタに愛おしささえ感じるリョウは紛れもなく愛し合う二人だ。それなのに二人とも過去に囚われ絶対に幸せになれない人間だと信じ込んでいる。諦念だ。

 残念だ。諦めるのが早いんだよ。どんな過去を背負っていても幸せになってもいいんだよ。特に若い二人は。圧倒的に狭い世界でしか生きていないから、そして臆病というか傷つくことへの恐怖が染み付いているから、物語は決してハッピーエンドには成り得ない。緩やかに終わりへと物語は進む。


 お互いの計画がお互いの思い描いた通りに進んだ翌朝、事態は思わぬ方向に進んでいる。なぜリョウが目覚めるのか、ウタの計画どうなってしまったのか、なぜ。

 筆者も難しかったという物語の終わらせ方は秀逸。これだけはあとがきから読む派の人も先に本編を最後まで読んでいただきたい。


 

ここからネタバレ………


 『だから、体じゃなくて心を殺すね』背筋が凍るとはこの一文を読んだ時の比喩だ。

いつから物理的に殺す事を諦めていたのか。リョウを眠らせリョウが煙草を吸ってる事を隠してたのがわかった時ではないと思う。物理的に殺せないから心を殺す。そんな切り替えは一瞬で判断できる事ではない。でなきゃこんなセリフは容易に出てこない。計画して道具を揃える段階からもうこの結末になるように準備したんだと思えるようになった。これは何度も読み返した結果なので、私の解釈の最終形である。


 『ずっと一緒、絶対死ねない殺し方。』

 このラストセンテンスでこの小説が、曲のタイトルが『完全殺人奪取計画』なのが完全に腑に落ちた。完全に相手の心を奪い心を殺す。『リョウがいつか死んでしまうまで絶対に私のことを忘れることはない記憶の中で私は生き続けて、ずっと一緒にいられるんだ』。

恐ろしい縛りだ。リョウの「殺して欲しい」が「愛して欲しい」に見事にすり替わった。そして愛され続ける。著者が思い描いた見事なハッピーエンドではないのかと感心しながらも背中に寒気を覚える。そんな物語だった。

 これから曲を聴くたびにこの戦慄が走ると思うと今宵は羊を数えたところで眠れないであろう 了


完全殺人奪取計画#0〜6

 まずはこの姫事絶対値の新曲の題名と歌詞を知った時、違和感の塊が上手く飲み込めなかった。殺人計画なのか奪取計画なのか。

 歌詞はわかりやすい。完全殺人計画と愛するが故に殺したいけど苦しんでも死なせないほどの愛情。自分だけのものにしたいから計画したのか。誰にもそんなふうに読み取れるだろう。

 しかし「奪取」は何にかかっているかが見えて来ない。何を奪うのか。命のこと?計画を誰かから奪った?相手の計画を奪って逆に殺してやったのか?わからない。まあそんなことはふと頭を過っただけで、フリは可愛いし音も面白いその曲をただ楽しんでいた。

 そんな考えも頭から完全に消え去った時に発表されたのが本著 一ノ瀬恵麻著note版「完全殺人奪取計画」だ。もちろん前出の曲をテーマに書かれた作品だと著者は言っている。今はまだ途中の段階だけど読んだところまでの感想を。



 物語は主人公「渡辺詩穂」の1人語りで進む。幼少期から高校生に至るまでの辛い家庭環境の話は著者の自伝(これも過去にnoteに掲載)に通ずるものがあり、読み始めて間も無く著者と主人公が同一人物かのように思え、心に重石を抱えながら読み進めることとなる。


 #1のラストセンテンス『背中で煙草の火を消される回数を数えるのをやめた頃、私は彼に出会った。』この一文に戦慄が走る。悲劇が終わり希望が見えたかのように思われるが、実のところ更なる絶望の始まりを予感させる。これ以上の悲しみがあるのかと頁をめくる指を鈍らせる。

 

出会った「リョウ」に電話で、自身の見せたくなかった現状を語る場面で『そしてもう意味はないな、と思いながらも慎重に言葉を選びながら、私はリョウに話した』とある。これは主人公の冷静さ、そしてそれよりも圧倒的に身に染み付いた諦念という心情を表してるように感じた。

 相手のリョウも謎めいた男だ。頑なに自分をの本心を見せようとしない。かと言って詩穂を騙しているわけでも、都合のいい浮気相手のような存在としておいているわけでもなさそうだった。そこに関しては先程公開された#7で見えてきたことで、また次の感想文で語ることにする。


 #6からは一気に話の様相が一変、計画が動き始める。殺害方法、死体遺棄、冷静に考えて実行に移そうとする。好きなのに殺したい。好きだから殺したい。そういう思いは経験がないのでわからないが、『あの日、リョウがそういうとこ好きだな、って言ってくれた時何かがストンと落ちた気がした。』『私の感情に凪がやってきたのはあの夜だった』という言葉には強い共感を覚えた。僕自身の事を言うと、「熾火」のような感情が薄い。後ろ髪をひかれることなくスパッと自ら切り落とすことが、今までの人生でも多かった気がする。流石に殺害計画は考えた事は無いが()。それだけ詩穂にとっては依存の度合いが別格なのだろうと想像した。

 

 #7からはリョウの視点で物語が描かれ、立体的に全貌が判明していくのだろう。この後も感想を綴って行こうと思う。 了

完全殺人奪取計画#0〜6

 まずはこの姫事絶対値の新曲の題名と歌詞を知った時、違和感の塊が上手く飲み込めなかった。殺人計画なのか奪取計画なのか。

 歌詞はわかりやすい。完全殺人計画と愛するが故に殺したいけど苦しんでも死なせないほどの愛情。自分だけのものにしたいから計画したのか。誰にもそんなふうに読み取れるだろう。

 しかし「奪取」は何にかかっているかが見えて来ない。何を奪うのか。命のこと?計画を誰かから奪った?相手の計画を奪って逆に殺してやったのか?わからない。まあそんなことはふと頭を過っただけで、フリは可愛いし音も面白いその曲をただ楽しんでいた。

 そんな考えも頭から完全に消え去った時に発表されたのが本著 一ノ瀬恵麻著note版「完全殺人奪取計画」だ。もちろん前出の曲をテーマに書かれた作品だと著者は言っている。今はまだ途中の段階だけど読んだところまでの感想を。



 物語は主人公「渡辺詩穂」の1人語りで進む。幼少期から高校生に至るまでの辛い家庭環境の話は著者の自伝(これも過去にnoteに掲載)に通ずるものがあり、読み始めて間も無く著者と主人公が同一人物かのように思え、心に重石を抱えながら読み進めることとなる。


 #1のラストセンテンス『背中で煙草の火を消される回数を数えるのをやめた頃、私は彼に出会った。』この一文に戦慄が走る。悲劇が終わり希望が見えたかのように思われるが、実のところ更なる絶望の始まりを予感させる。これ以上の悲しみがあるのかと頁をめくる指を鈍らせる。

 

出会った「リョウ」に電話で、自身の見せたくなかった現状を語る場面で『そしてもう意味はないな、と思いながらも慎重に言葉を選びながら、私はリョウに話した』とある。これは主人公の冷静さ、そしてそれよりも圧倒的に身に染み付いた諦念という心情を表してるように感じた。

 相手のリョウも謎めいた男だ。頑なに自分をの本心を見せようとしない。かと言って詩穂を騙しているわけでも、都合のいい浮気相手のような存在としておいているわけでもなさそうだった。そこに関しては先程公開された#7で見えてきたことで、また次の感想文で語ることにする。


 #6からは一気に話の様相が一変、計画が動き始める。殺害方法、死体遺棄、冷静に考えて実行に移そうとする。好きなのに殺したい。好きだから殺したい。そういう思いは経験がないのでわからないが、『あの日、リョウがそういうとこ好きだな、って言ってくれた時何かがストンと落ちた気がした。』『私の感情に凪がやってきたのはあの夜だった』という言葉には強い共感を覚えた。僕自身の事を言うと、「熾火」のような感情が薄い。後ろ髪をひかれることなくスパッと自ら切り落とすことが、今までの人生でも多かった気がする。流石に殺害計画は考えた事は無いが()。それだけ詩穂にとっては依存の度合いが別格なのだろうと想像した。

 

 #7からはリョウの視点で物語が描かれ、立体的に全貌が判明していくのだろう。この後も感想を綴って行こうと思う。 了

神様のボート

神様のボート


著者 江國香織


母と娘の物語。

「かならず戻って来る」と言っていなくなってしまったあのひとの「どこにいてもかならず探し出す」という言葉を信じて、しかしあのひとのいない場所に馴染むわけにはいかないので、母娘は引っ越しを繰り返す。それは「神様のボートにのってしまったから」だそうだ。


 母葉子と娘草子は穏やかにゆったりと時間の流れる田舎暮らしをしている。周囲の人も優しく母娘の生活を手助けし暖かく見守っている。序盤では草子は10歳。母の言葉にでたらめが多いことも自覚し始めてきているけど、概ね母が全ての世界に生きている。引っ越しが多い事には徐々に不満を持ち始めているけどまだ母の言いなりだ。

 母娘は互いにたっぷり愛情を持っているが、葉子はあのひとを通して草子へ愛情注いでいるように見えて来る。


 何度目かの引っ越しをして新しい場所での生活が始まり、またゆったりとした時間が流れる中、草子の内面は徐々に微細に変化していく。それは成長による世界の広がりや自我の目覚めなのだろう。いつまでも葉子の宝物で、ずっと足にまとわりついて離れない幼子ではないのだ。多分、同世代の子より圧倒的に大人でしっかりせざるを得なかったからだと思われる。


 草子が中学生になる頃には、草子は前へ前へと歩みを早め、葉子は引っ越しを重ねる事で場所に縛られはしなくても、あのひとへの想いに縛られ、歩みを止めて生きている。

 この辺りから物語の冒頭からそこはかとなく漂い、見え隠れしていた不穏さが、時にはっきりと顔を出してくる。それでも草子は優しく、葉子の言動に異常さを感じても、なんとか傷つけないように自分を抑え、母を不快にさせないように収め、2人の生活が今まで通りに続いていくよう努力をしている。


 しかし進む者と留まる者の距離がはっきりと形に現れる時が来てしまう。草子の高校進学である。離れた高校に推薦入学して寮に入ると言う草子に葉子は激昂する。葉子にとっては最後の宝物を手放すわけにはいかない。本人は最後だと思っているかどうかは定かではないが。草子は母親への愛は変わりなくあるが、自分の居場所は自分で作らない限り一生このままだと悟り、打破するために非情な決断をする。


 母娘が進路についての言い合いをする場面では、苦しくなるような緊張感と罪悪感が伝わり読み進めるのが憚られた。草子が葉子に強く非難の言葉を投げかけた刹那に後悔をしてしまう場面など、「ずっと昔から言えなかったことを遂に言ってしまった」と僕の言葉かと錯誤するくらい悔悟の念が訪れた。


 この出来事の後は、静かに物語の幕が閉じてゆく。草子も僕も壊れてしまった葉子をハッキリと認識し優しく見守り、葉子は夢とも現実ともハッキリしない朦朧とした世界を生きるのであろう。むしろ生きるのかさえわからないまま物語は終わる。


 親子の愛情と愛するひとへの想い。遂に一度も登場しないあのひとに振り回される母娘の物語は、愛の話であり狂気の沙汰である。


 行き場のない愛情が人を傷つけるという事は僕の人生経験にもある。だいぶ形は違うが今も続いている自分の母の話に思えて途中から悪寒がした。父親が病気で亡くなった後に母親が僕に愛情を転嫁してきたのだ。僕の交際相手に対し嫌悪感を抱いたり、妨害する行動は葉子の想いに通じるものがあるように思えて身震いした。

そして僕の母の名は「葉子」という。 了


#僕と君だけの1冊