神様のボート

神様のボート


著者 江國香織


母と娘の物語。

「かならず戻って来る」と言っていなくなってしまったあのひとの「どこにいてもかならず探し出す」という言葉を信じて、しかしあのひとのいない場所に馴染むわけにはいかないので、母娘は引っ越しを繰り返す。それは「神様のボートにのってしまったから」だそうだ。


 母葉子と娘草子は穏やかにゆったりと時間の流れる田舎暮らしをしている。周囲の人も優しく母娘の生活を手助けし暖かく見守っている。序盤では草子は10歳。母の言葉にでたらめが多いことも自覚し始めてきているけど、概ね母が全ての世界に生きている。引っ越しが多い事には徐々に不満を持ち始めているけどまだ母の言いなりだ。

 母娘は互いにたっぷり愛情を持っているが、葉子はあのひとを通して草子へ愛情注いでいるように見えて来る。


 何度目かの引っ越しをして新しい場所での生活が始まり、またゆったりとした時間が流れる中、草子の内面は徐々に微細に変化していく。それは成長による世界の広がりや自我の目覚めなのだろう。いつまでも葉子の宝物で、ずっと足にまとわりついて離れない幼子ではないのだ。多分、同世代の子より圧倒的に大人でしっかりせざるを得なかったからだと思われる。


 草子が中学生になる頃には、草子は前へ前へと歩みを早め、葉子は引っ越しを重ねる事で場所に縛られはしなくても、あのひとへの想いに縛られ、歩みを止めて生きている。

 この辺りから物語の冒頭からそこはかとなく漂い、見え隠れしていた不穏さが、時にはっきりと顔を出してくる。それでも草子は優しく、葉子の言動に異常さを感じても、なんとか傷つけないように自分を抑え、母を不快にさせないように収め、2人の生活が今まで通りに続いていくよう努力をしている。


 しかし進む者と留まる者の距離がはっきりと形に現れる時が来てしまう。草子の高校進学である。離れた高校に推薦入学して寮に入ると言う草子に葉子は激昂する。葉子にとっては最後の宝物を手放すわけにはいかない。本人は最後だと思っているかどうかは定かではないが。草子は母親への愛は変わりなくあるが、自分の居場所は自分で作らない限り一生このままだと悟り、打破するために非情な決断をする。


 母娘が進路についての言い合いをする場面では、苦しくなるような緊張感と罪悪感が伝わり読み進めるのが憚られた。草子が葉子に強く非難の言葉を投げかけた刹那に後悔をしてしまう場面など、「ずっと昔から言えなかったことを遂に言ってしまった」と僕の言葉かと錯誤するくらい悔悟の念が訪れた。


 この出来事の後は、静かに物語の幕が閉じてゆく。草子も僕も壊れてしまった葉子をハッキリと認識し優しく見守り、葉子は夢とも現実ともハッキリしない朦朧とした世界を生きるのであろう。むしろ生きるのかさえわからないまま物語は終わる。


 親子の愛情と愛するひとへの想い。遂に一度も登場しないあのひとに振り回される母娘の物語は、愛の話であり狂気の沙汰である。


 行き場のない愛情が人を傷つけるという事は僕の人生経験にもある。だいぶ形は違うが今も続いている自分の母の話に思えて途中から悪寒がした。父親が病気で亡くなった後に母親が僕に愛情を転嫁してきたのだ。僕の交際相手に対し嫌悪感を抱いたり、妨害する行動は葉子の想いに通じるものがあるように思えて身震いした。

そして僕の母の名は「葉子」という。 了


#僕と君だけの1冊