Repeat negative morning #感想文後記

A子が鼻歌で奏でる「新世界より(遠き山に日は落ちて)」が葬式帰りのE子のバックに町内放送で流れている。


Twitterで呟いたE子に正論のリプを返すB子とそのやりとりを鼻白んで眺めるA子。


E子のツイートに返信があった時のゆうらのセリフ『正論だね。健康的だよ』→A子の独り言に呼応『それはまるで私の心が不健康だと言われ…』

 

 


 このように、この作品群ではさまざまな場面で5人の日常が交差しリンクする。監督・脚本の意図とは違うかもしれないが、気がついたところをざっくばらんに書き留めていこうと思う。

 

 

 

首を絞めるものが電気コード。A子とB子に共通するが、延長コードと電動マッサージ器ではだいぶ違うか。まあその場にあったコードということで。


C子 『たぶん世界は私に興味がない』

E子 『ましてや他人はあんたの不幸に興味はない』

 どちらも悲しい現実に向き合わされる辛辣な言葉だ。誰しもが見て見ぬ振りをしたくなる。


C子が表紙のイラストを描いた本を捨てD子が拾う。D子はイラストのセンスを褒める。

 C子にとってはバラン作りのような作業だったかもしれないが、誰かにとっては心の救いになることもある。この後D子はずっとその本を、クチナシのイラストが表紙のその本を決して手放さない。


その本のタイトルが「人生を楽に生きるための本」B子のツイートを思い起こす。しかし内容は薄っぺらい自己啓発本のようだ。著者が遠藤明美→E子?A子?と深読みをしたが、多分お門違いだろう(笑)。


『樹海でも目指す?』と皮肉な笑みを浮かべながら、E子に絶対に死ねないことの比喩で語るゆうら。漠然と考えた死は目指してみても遠いということ。


E子が死のうかなと思い立った場所(俯き、不意に夜空を見上げ歩き出すシーン)→ゆうらが『でもあんたには出来ないよ。だって…』と言った場所。


D子が歩道橋の上で叫ばない これは#5.1でD子自ら語るが、叫ぶことは過去を発散することにはなっても何も進まない。叫ぶのではなく走る。感情を爆発させ足を前に未来に運ぶのだ。


B子のリプライ 自分に言い聞かせるが如く、返信内容を書き直しど正論を言ってしまう。自分の情け無さに自己嫌悪するB子 。死にたいと思っても実際にそうする人はやはり少ない。これが普通なのだと思う。


E子の美しい文章ツイート (ポエム)『桜のカーテンが私を包み 光のシャワーが影を落す

私の歩む道は正解なんだと春が教えてくれたきがした。』

 これはA子のささやかな昼下がりの情景に違わない。E子もまたこのような景色の中にいることが幸せの象徴なのだろうか。

 

 

 

 結構な回数を5本通しで観たけれど、観れば観るほど細かな部分に気付きがあって見応えのある作品群だったなとの感想を持った。まだまだ細かな遊びがありそうで、何度も見返しては発見したいと思う。

 

 

 

 それぞれ面識のない人々の物語だが、同じように悩み絶望し、やがて自らと向き合い、形は違えど少し前を向いて歩き出す。『人には人それぞれの地獄がある』それと同時に、誰にも同じように朝は来て、その朝に救われることもある。

 

 やがてまた同じような夜は来るだろう。何度も何度も何度も何度も。それでも朝が来たら起き上がる、走り出す。そうやって自分になってささやかな昼下がりを過ごせるようになれればいいなと思う。最後まで続けてみると後味爽やかな青春の物語であった。 了