完全殺人奪取計画#7〜11

 #7からはリョウの視点から物語が描かれる。

 経済的に恵まれた環境に生まれたからと言って幸せだとは限らない。『人には人の地獄があるって』のちにリョウが言われるように、人はそれぞれに苦悩を抱え将来に絶望する事くらい当たり前にある。

 また『殺して欲しいは愛して欲しいの婉曲表現』という鋭い言葉が登場する。この一言でリョウという、いや亮介という男の歪み、本質を的確にわからせてくれる。周りからは幸せそうな家庭に育った穏やかで聡明な男に見られるが、本人は親から関心を持たれず、その親という一番身近な男女が愛情を持ち合わせる事がなくなったのをまざまざと見せられ、愛を持って接していた親友から手痛い裏切りに遭い、『今世は暇潰し』なんて言葉に共感してしまう。ウタと同じように諦念を抱き愛に飢え、愛に怯えている。

 

 最初は興味本位からネットで知り合い繋がったウタを、リョウは願いを叶える人物として選ぶことになる。ウタの視点の描写の時には、リョウは決して心を許さない無感情の人間。「好きだ」という言葉を絶対に言おうとしない狡い男。そんな人物像だったがそんなことはない。ウタに自分を好きにさせようとしているうちに『ズタボロにになってしまったはずのプライドや自尊心、自己肯定感』を取り戻し高揚感を覚えるようになる。これは計画が進んでいる事と本人は捉えるかもしれないが、明らかに恋であり愛情を抱き始めている。


 「計画の実行」に至る直前。強くリョウに依存するウタと、依存される事に高揚感を覚え、ウタに愛おしささえ感じるリョウは紛れもなく愛し合う二人だ。それなのに二人とも過去に囚われ絶対に幸せになれない人間だと信じ込んでいる。諦念だ。

 残念だ。諦めるのが早いんだよ。どんな過去を背負っていても幸せになってもいいんだよ。特に若い二人は。圧倒的に狭い世界でしか生きていないから、そして臆病というか傷つくことへの恐怖が染み付いているから、物語は決してハッピーエンドには成り得ない。緩やかに終わりへと物語は進む。


 お互いの計画がお互いの思い描いた通りに進んだ翌朝、事態は思わぬ方向に進んでいる。なぜリョウが目覚めるのか、ウタの計画どうなってしまったのか、なぜ。

 筆者も難しかったという物語の終わらせ方は秀逸。これだけはあとがきから読む派の人も先に本編を最後まで読んでいただきたい。


 

ここからネタバレ………


 『だから、体じゃなくて心を殺すね』背筋が凍るとはこの一文を読んだ時の比喩だ。

いつから物理的に殺す事を諦めていたのか。リョウを眠らせリョウが煙草を吸ってる事を隠してたのがわかった時ではないと思う。物理的に殺せないから心を殺す。そんな切り替えは一瞬で判断できる事ではない。でなきゃこんなセリフは容易に出てこない。計画して道具を揃える段階からもうこの結末になるように準備したんだと思えるようになった。これは何度も読み返した結果なので、私の解釈の最終形である。


 『ずっと一緒、絶対死ねない殺し方。』

 このラストセンテンスでこの小説が、曲のタイトルが『完全殺人奪取計画』なのが完全に腑に落ちた。完全に相手の心を奪い心を殺す。『リョウがいつか死んでしまうまで絶対に私のことを忘れることはない記憶の中で私は生き続けて、ずっと一緒にいられるんだ』。

恐ろしい縛りだ。リョウの「殺して欲しい」が「愛して欲しい」に見事にすり替わった。そして愛され続ける。著者が思い描いた見事なハッピーエンドではないのかと感心しながらも背中に寒気を覚える。そんな物語だった。

 これから曲を聴くたびにこの戦慄が走ると思うと今宵は羊を数えたところで眠れないであろう 了