Repeat negative morning #1

イーハトーブのA子さん』

 

 銀河鉄道の夜は大昔に読んだっきりで明確には覚えていないが、このショートムービーの背景にはそこここに暗示されている。

 生と死、幸せの定義のような大きな背景や牛乳、河辺などの細かな小道具。冒頭の比喩表現に示されるよう現代へと投影される。

 

 

 死にたい。消えたい。双方が同義なのか別物なのかは人によって違うと思っているが、それぞれに比率のようなものがあるのだろうか。A子は自死の方法を検索する。使えそうなものを複数、部屋の中から掻き集め卓上に並べる。カッターを指先に押し当て、痛さに顔を顰める様子や、チーズカッターまで持ち出しているところを見ると、本気で死にたいとは到底思えない。検索といいツイートといい衝動的なものだと高を括って見ていた。

 


 だが、パピコを半分に割って冷凍庫に戻したことで雰囲気が変わる。鼻歌を歌いながら電気コードを括り付けている。すでに空になったアイスの容器をゴミ箱に投げ捨てる。腹が決まった様子に背筋が寒くなる。本気だ。

 


 苦しさに悶えながら3回目の試行に入った時には「もうやめてくれ」と心の中で泣き叫んでしまった。結果は未遂に終わる。

 


 そこで見るA子の走馬灯のような願望。というよりも手にしたい本当にささやかな幸せ。「なんてことはない普通の昼下がり」を「贅沢」とまで言わしめる。

 ここまで追い詰められていたのか。いやここまでの虚無感がこの小さな体に渦巻いていたのかと気付かされる。何も出来ない自分がもどかしく悔しくなりまた涙が溢れる。

 語りの最後で「私は溺れるように眠りについた」と聞き、一旦は安堵したものの、こんな夜がいつかまた来るのかと思うと切なさが残り続け、心の奥に澱となって沈んでいった。

 

 

 

 演技面の感想も。まずは声の演技。望む幸せな形を涙まじりに語るシーンは心の叫びが胸に響く。いや、その前の自殺未遂で苦しみに咽せて咳き込み、成し遂げられない悲しみと絶望の嗚咽からの語りだからより前掲した切なさや哀しみを惹き起こす。

 そして笑顔。苦しみと笑顔の対比がこの作品の全てを物語る。主人公にこの笑顔で暮らせる日々が少しでも早く訪れてくれるよう祈ることしかできない。

 

 最初は物語として捉えられずにただただ苦しく悲しい時間で何度再生を止めようかと思った。二度と見たくないが第一印象。好きな女の苦しむ姿なんて直視できない。

 ただ、物語として割り切って観られたのが4回目から。こんなに体当たりの作品をしっかりと見なきゃと思いちゃんと観た。曲の中のネガティブな部分をクローズアップしたオムニバスの導入部と今の時点では捉えている。もちろん5作品観終わった後で改めて感想は綴ろうと思う 

 想像の何百倍も凄まじい演技に度肝を抜かれました。体当たりの演技お疲れ様でした。素晴らしかった 了